プチクリ。
プチクリエイターの略です。これは、岡田斗司夫さんがつくった造語です。ひとりひとりには才能があり、それを開花するためのちょっとしたアイデアがいっぱいつまっています。
13年経理を続けてきました。その経理スキルを、青年海外協力隊の起業家アドバイザーという立場でお役に立てることについて、再現性を持たせたいと模索していた時に出会ったのがプチクリです。
今日はその自分の中にあるプチクリ・才能の発見方法についてトライしたので、記事にします。
目次
- 才能発見の第一歩は「わからないこと・すきではないこと」を明確にしてみる
- わかること・好きなことに、才能がある
- 才能は環境にも影響される
- 一貫性がなくてもいい。わかること・好きなことを、片っ端から手をつける
- まとめ
才能発見の第一歩は「わからないこと・すきではないこと」を明確にしてみる
才能というと特別なことを思い浮かべると思います。
僕は「特別なこと」という先入観に縛られて、自分には才能がないのだろうか?あるのかな?と半信半疑になっていました。
結論から言うと「才能とは、プロになって飯を食えること」である必要はないのです。「わかること・好きなこと」に才能があります。
順を追って考えていきましょう。
まず「才能がないこと」を明確にすることから始めましょう。
大事なことは「際」です。
興味がないこと、好きではないこと、わからないこと、
不得意なことを知ることで、才能の「際」が浮き上がってきます。
「際」を見つけることは、自分の輪郭を知ることでもあります。
得意なことや好きなことがすぐに出てくる人は大丈夫です。
でも僕のように、好きなことがハッキリ言えない人が多いとも思います。
そのような人は、意外と嫌いなこと・不得意なことは、ハッキリ言えたりします。実は、ここから明確にしていくことが、才能の発見の近道になったりします。
例えば、サッカー。
僕は先日のブラジル戦で、日本が3-2で逆転勝利したことを3日経過して知りました。(2025年10月に行われた試合のこと)
サッカーファンにしてはありえないことだと思います。
でも、僕はまったく夢中になれず、興味さえ持てません。
また、野球や他のスポーツに対してもです。
ニュースを見ようともしません。
そのため、サッカーやスポーツ観戦に対する「才能がない」と言えます。
おそらく、解説者になることもないでしょう。ニュースキャスターになって、スポーツの観戦結果もお伝えすることもないでしょう。
ここで押さえてもらいたいことが、「興味がない人もいれば、大好きな人もいる」ということです。僕は、前者です。後者の大好きな人からすれば、「ありえないでしょ?」と思われているでしょう。
大好きな人からすれば、ブラジル戦の直前はソワソワしてご飯も喉に通らなかったはずです。
(僕の父がそのタイプで、その日はずっとブラジル戦について熱く語っていました)
ここで「才能がないことは、わからないこと・好きではないこと」と定義できます。
では、才能があることとは?
わかること・好きなことに、才能がある
才能がないとは、わからないこと・好きではないこと。
⇒わかること・好きなことは、才能がある。
これは、才能がないことの反対です。
(気になる方は、論理学の対偶を調べてみてください)
例えば、僕は青年海外協力隊が大好きです。
青年海外協力隊の興味を持つことから、説明会・応募・面接・合格の流れ・訓練生活・渡航・・・などなど。
それらの一連の所々にある、難所や家族や友人との関係調整など。
好きなだけではなく、ある程度わかります。
今まではこれを当たり前として捉えてきました。
でも、ここに僕の才能があるのです。
才能があるってことをプチクリという概念から、しっかりと認識させてもらいました。
おそらく、日本人の9割以上の人が「青年海外協力隊って海外ボランティアで、井戸掘る人でしょ」っていう程度で、興味関心がありません。
すなわち、わからないし、好きでもないことの部類になります。
よって、才能がないことです。
人それぞれ才能があると言われるのは、人それぞれ好みが違うのと比較的似ています。
才能は環境にも影響される
日本人には、国際比較すると漫画の才能がある子供が多いそうです。
小学生でも落書きしたり似顔絵を描いたりすることは、絵の才能がある(または片鱗がある)と言えます。
理由として、日本には漫画という文化が根強くあり、大人から子供まで漫画を読みます。本屋やコンビニでも漫画を見つけることができます。
そのため、漫画というものがわかるから、好きになるきっかけも多いわけです。
では、バヌアツではどうでしょうか?
2009年当時、バヌアツには本屋が1つも国全体になかったように思います。
漫画なんて見たことがありません。
国にも本屋がないのであれば、離島にも本屋はありません。
ましてや教科書もない島さえあります。
そのような環境で生まれた子供は、小学生の時に落書きはするでしょうか?
ほぼしません。
わからないし、好きでもないから。
それに、落書きする紙さえ少ないわけですから。
一貫性がなくてもいい。わかること・好きなことを、片っ端から手をつける
僕は、青年海外協力隊が好きです。青年海外協力隊のことがわかります。
それ以外にも、経理やバヌアツのこと、ブログやHPの立ち上げ方もわかります。
これらがプロレベルであるから才能ではなく、わかること・好きなことだから才能があるというお話をさせてもらいました。
これらを組み合わせて、noteやKindle出版をしています。
プロとして活躍するのではなく、プチクリエイターなのです。
「ほんのちょっと、自分の好きなことをつくって発信する」
「自分のまわりにいる誰かに、伝えてお役に立ててもらう」
ここに自分の喜びだったり、生きがいを感じるわけです。
昔は一貫性がないことにストレスを感じていました。
でも、一貫性がなくて良いことを教えてもらいました。
プロフェッショナルな歌舞伎役者であれば、そのこと一筋にやらなくてはいけませんが、僕はプチクリです。
好きな時に、好きなことをやっていいのです。
誰に指示されるわけでもなく、自由なのです。
だいたい、嫌味や文句を言う周りの人は「我慢して生きている人」か「嫉妬している人」のどちらですから。スルーしましょう。
「片っ端から手をつける」と見出しで書きましたが、
この手をつけるとは、自分で楽しむだったり、表現することです。
noteやHPで発信することが、僕の表現方法です。
2025年の今の世の中は、1億人総クリエイターなんて呼ばれるほど、スマホ1つで発信できる時代です。
ありがたいですよね。
スタンドFMやPodcastだって、スマホ1つで自分のラジオ番組つくれるわけですから。
まとめ
プチクリという概念、いかがでしたか?
「プチクリって概念をもっと詳しく伝えたい・・・」という想いがありますが、僕はプロではないので、自分の主観と楽しい気持ちだけで今日は記事にさせてもらいました。
プロとしてであれば、もっと時間をかけて、考えて発信したはずです。それよりも、自分が楽しく、その時の気持ちのままに書かせてもらう方が、自分らしいと感じています。この自分らしいというのがプチクリのあり方にも感じています。
僕はゼロから100かと極端に考えてしまいます。
読者の方にもそのような方は多いのではないでしょうか。
30や60くらいの中間地点をもてるのがプチクリです。
完璧ではなくていい。
ちょっと知っているだけで十分なのです。
それだけで、素晴らしい才能なのです。
もし才能という言葉が重く感じるのであれば、「才能の芽」と考えるのもありですね。
自分の中にある、才能の芽に気づくことで、育ててあげましょう。
自分のわかること・好きなことを発信したり人に伝えたり、つくったりする中で、ゆっくりと育ちます。
「プチクリ」のことを知りたい方はぜひ、岡田斗司夫さんとFREEexさんの書籍をおすすめします。キンドルアンリミテッドで無料で読めます。
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今日の記事が、あなたの中にある才能の芽に気づくきっかけになれば嬉しいです。
あなたが、わかること・好きなことは何ですか?