明けましておめでとうございます。
年末に読んでいた本のことを書きたく、2026年1回目の投稿は読書感想です。
レビューや感想は、忖度しがちだった?!
僕は、昔から自分の感情を大切にしてきました。
この本を読むまではそう思っていました。
でも、タイトルにあるように公とも言える本で、
「作者の正解なんてくそどうでもいい。」と言い切ってくださった作者の三宅香帆さんの文体に、ハートをつかまれました。
前後の文脈ありきのこの一言です。
それにしても、SNS社会などで過激は発言は控える風潮ではないでしょうか。
過激な発言や本音トークを、僕はあまり表に出していませんでした。
それにもかかわらず、三宅香帆さんは思いっきりの本音トークです。
雰囲気や優しそうな女性で、肩書は文芸評論家です。
それにもかかわらず、この一言のギャップ感がたまりませんでした。
この一言を読んだ時に、
「作者はこの一言のために、この本を執筆したのでは?」と、自分なりに考察しはじめるのでした。
作者の主張という綺麗な言葉ではなく、作者の強い想いを感じたからです。
もっと言うなれば、これが作者の主張じゃなかったとしても、この世の中で、このような表現をしてもいいんだ!!、このようなスタイルがあるんだ!!という気づきを得られたことに、自分自身はこの本を買って良かった。この本と出会えて良かったと思えました。
(ちょっとの考察のつもりが、批評になった瞬間でしょうか。)
『考察する若者たち』
僕が読んでいた本は『考察する若者たち』です。
平成が、批評文化。批評とは、自分の感想や意見を述べること。
令和が、考察文化。考察とは、作者の意図する正解を探すこと。
これらを対比しながら、世の中の風潮を旅する本となっています。
僕は、世代の違いによるギャップを知りたく手に取りました。
お恥ずかしながら自分が浦島太郎になっているくらい、時代の流れを知らないことに気づかされたのです。
例えば、鬼滅の刃では、考察動画を見てから「確認のために」映画館へ行く若者がいると知り、正直なところ僕には理解できなかった。
「ネタバレ」という正解を知ることで安心するのです。
作者や制作の意図を事前に知ることが安心となり、正解を知ることが満足度を高めるというのです。
…理解できませんでした。
これが自分と世代、自分と時代のギャップなのでしょう。
AIと考察文化の相乗効果
正解を知る、ということを考えるとAIもその1つです。
いままでは、「ググる」。ググる中で、表示された多くのサイトから選択して情報を得ていました。
しかし現在は、「ジピる」。ChatGPTに聞いて、選ばれた情報を鵜呑みにする。
AIが抽出した情報が、大まかな正解となるわけです。
AIの文脈が入ってくると、考察文化が他人事から自分事にぐっと近づいてきました。
自分も毎日10回以上はAIと対話しているからです。
正解を求めている、正解に近づいていることで満足したり、仕事の品質を高めているからです。
問いをたてるか、正解を知るか
平成の批評文化では、自分が問いをつくり考えることに醍醐味がありました。
令和の考察文化では、作者の問いに対する正解を知ることに満足度が高まります。
青年海外協力隊の醍醐味は、自分が生まれた国と違うところで、失敗や壁にぶつかる中で自ら問いを考え、正解をつくるかだと思っていました。
もちろん、いまでもその考えは大きく変わりません。
しかし、それだけでは視点が狭いなと今回の読書を通じで思ったのです。
「見知らぬ海外に何があるのか?」
「先輩たちはどのような失敗をしてきたのか?」
という事前情報(ネタバレ)を知り尽くした上で、青年海外協力隊に挑戦する考えもあっていいのだと思えるようになったのです。
2009年の当時、僕は駒ヶ根訓練所で研修を3ヶ月受けていました。
Facebookなどから多くの先輩達とつながり、情報集めが得意な同期がいました。
「なぜ、正解を求めるんだろう・・・」と不思議でなりませんでした。
楽しみが半減しちゃうようで。
確かに楽しみは減るのですが、事前準備ができることにもつながります。
最適解を知っておくことで、無駄な失敗を事前に防ぎ、効率的な活動につながるのです。
予防にもつながります。
この最適解というのが面白いところで、僕もかなり最適解を求めた行動をしてきたことを思い出しました。
世の中に情報商材がでまわる=世の中が最適解を求めている、につながると思ったからです。
「たった〇〇で・・・」
「時給▲▲万円以上!!」
など、世の中の最適解をあたかも見極めたようなコピーが至る所に出回るのは、それだけニーズがあるからです。
僕も楽して儲けることや、楽して頭が良くなりたい欲求に負けて、これらの情報商材を購入した経験があります。
自分で問いをたてるのが好き
僕自身は、遠回りしようが自分で問いを見つけて、自己解決するプロセスが好きな性分であることにたどり着きました。
でも、時代や世代違いの人が求めている、最適解を知ること、正解を知ることを否定するつもりもありません。
問いをたてるか、正解を知るか、の二項のどちらかを選ぶというよりかは、バランスよくつかうのが良いのかと思いました。
いつも問いばかりたてても疲弊します。
いつも正解探しをしても疲弊します。
ふと思った問いは、今後の青年海外協力隊は、
「問いをたてる人よりも、正解を確認しに行く人が増えるのか?」ということです。
時代の世代の変化が巻き起こる気がしています。
もしそのような流れが起これば、その時代の変化に適応しつつも自分なりの問いをたてていきたいと思いました。
あなたは、どのような時に問いをたてますか?
