何気ない日常の会話
平日の19時。
まったりした時間の中で、テレビをみている息子が牛乳を飲みたいと言った。
僕は、冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに入れて息子に渡した。
テレビに夢中の息子は、気づけば洋服と床に牛乳をこぼしながら飲んでいた。
「パパ、ごめん。こぼしちゃった」
「いいよ。テレビ消してから飲みなさい、ってパパも言い忘れたから。ごめんよ。」
「そんなことないよ、パパ。いいんだよ。」
子どもたちは保育園で教わったのか、謝ると「いいんだよ。」とか「いいよ。」と切り返す口ぐせをもっている。とても可愛い。
今回は、この後の息子の言葉が秀逸だった。
「パパ、僕のほうこそごめん。テレビに夢中になってパパの言うこと聞いてなかったと思うんだ」
僕は内心、「???」と頭の中にはてなマークがついた。
普段であれば、僕もこぼしたことをしかり、息子はベソをかく流れであった。
今回、僕自身も起きた事象を自分ごとに反省して謝ったことから、
息子と良い空気感で、自己反省できた。
任国でのカウンターパートなど職場の人間関係の基本を認識した
自分がしたことが跳ね返ってくるといいます。
怒りをぶつければ、怒りが返ってきて。
愛をささやけば、愛が返ってくる。
今回は、
自己反省をすれば、相手の自己反省が返ってくる。
そんな現象でした。
普段、僕も感情をあらわにするところですが、なんとなく心に余裕があったのか自己反省できました。
なぜか、任国でのカウンターパートとのいがみあいを思い出しました。
異文化コミュニケーションは、うまくいくことは100回中5回。
いつも違和感でしかない。
特に派遣1年目は、僕はいつも感情をあらわにしていた。
ところが、感情をストレートに表現して、相手を変えようと思っても、何も変わらない。
結局のところ、自分が変わるしかなかった。
2年目になると、良い意味でのひらきなおりができたのか、物事をどうでもいい、どうにでもなれ、みたいに捉え始めた。(現地人に溶け込んだせいか・・・)
うまくいこうが、失敗しようが、どうでもいい。
ひたすら、ニコニコして、まったりしていた。
きれいな海を眺めたり、空をみていると、余裕が生まれてくる。
結果をださなくてもいいと、ひらきなおった日々が続くと、
なぜか、結果がついてきた。
周りが気持ちよく動いてくれて、その行動が結果になるからだ。
雪山遭難者と暖炉の話
ある雪山で遭難した人が山小屋を見つけました。
誰もいなく、あるのは薪と暖炉。
遭難した人は、暖炉に向かってこういいました。
「暖炉よ、僕は凍えてもう動けない。
先に温めてくれたら動けるから、その後に薪をくべるよ」
さて、この遭難者がどうなったかは想像にお任せします。
ふとこの話を思い出しので書いてみました。
まとめ
頭ではわかっているのです。
人には優しくした方が良いと。
でも、なかなかできません。
こうやって書いていても、また嫌な顔したり怒るのが僕です。
本当は、神対応な4歳11ヶ月の息子の記録を書こうと思ったのが今回の記事です。
親バカ根性丸出しです。
ふと脳裏をよぎった、カウンターパートや職場の人間関係と一緒なことに気づかされて、色々な視点にふれてみました。
あなたは、人にどんな対応されると嬉しいですか?