寄稿4回目にして
現役青年海外協力隊の寄稿文を預かって3回目に、もっと喜怒哀楽を表現して欲しいと依頼しました。
そしたら、「なぜ、自分は青年海外協力隊を選んだのか」なる寄稿文をよせてくれました。
久々に、読みながら自分の感情が揺さぶられました。
ご覧いただくことで、ご自身と向き合うきっかけになります。
異国紀行(協力隊へのきっかけ話) Vol.4
アッサラームアレイクム! (お返事は マレイクムサラーム で)
こんにちは。おくはまですん。
こちらは5月中旬あたり。一年で一番暑い時期を感じています。
GW中、家族が日本からセネガルへ来ており、旅行作戦の反動からか、ずっと夏バテでダウンしております。
(旅行編は次回あたりに書いてみようと思います。れっつつーりずむ)
慌ただしい旅程でしたが、久しぶりに味わう日本語だらけの時間と共に、自分が何故ここに来たのか振り返る良い時間となりました。
さて今回は、私がセネガルに来るきっかけについて書いてみようと思います。

うまれそだち
私は生まれも育ちも宮崎県。県外の大学を経て、社会人生活スタート時に宮崎に帰ってきました。
帰ってきた理由は諸々あるけれど、
実家が畜産業だった事もあり、日本有数の畜産県である宮崎県は、
もともと就職先の大きな選択肢としてありました。
まあでもそこまで大きな将来像がある訳でなく、
ここで面白おかしく生きていきたいな〜くらいです。
旅行は好き、おでかけも好き。けど、拠点は宮崎でいたい。そんな気持ちで過ごしています。

てんき
そんな社会人生活も8年ほど過ぎ、将来を考える事も増えてきました。
どんどん後輩も増え、キャリア的には中堅に入ろうとしている。
転職という選択をとる人もいる。
結婚・出産・育児等々女性にのしかかるライフイベントの圧力もある。
そんな中で自分は今、何がしたいのか。ぽろんと出てきた言葉が
【お出かけしたい】
おでかけしたい
これ、【違う場所で働きたい】という意味じゃなく、
どこかでしばらく活動して、その後、元の場所に帰ってきたい、という意味。
仕事が嫌になった訳ではない。宮崎を嫌になる訳がない。
けど、転職して行った人、来た人の話を聞いて、違う場所で経験を積んでみたくなった。
おでかけじっせき
突拍子もない行動かもしれません。
けど、改めて自分自身を振り返ると、ちょいちょいその兆候が見えてきます
小学校4年生で、親に何も告げずに女ひとりで少年野球に入部しちゃったり、
大学時代に自転車で神奈川~北海道、神奈川~宮崎となんちゃって日本縦断してみたり。
詳しくは書きませんが、これを並べると、今回の行動理由も合点がいきそう。
私は出不精なのに、おでかけ好きなんでしょうね。

渡りに船の現職参加制度
そして。
その時浮かんだのが、青年海外協力隊の現職参加制度というものです。
これは、現在働いている会社を辞めずにJICAボランティアに参加できる制度。
私の職場ではこの制度を採用しており、今までにも、この制度を利用して協力隊に参加した方が複数いました。
利用者の中には職場の同僚もいて。その友人の話を聞いて、
私にもできるかもしれん、とより一層思うようになりました。
あたりまえは普通じゃない
海外に、しかも発展途上国で暮らす。日本語は当たり前に通じないし、英語やフランス語も通じない現地語が飛び交う場所で、
全く知らない文化の中で生活する。
あなたの当たり前が、非常識。
日本で生活する中では、まずぶち当たらない状況よね。
しかも、今後自分が生まれた土地で暮らすとなると、さらにその経験を積む事はできなくなると思う。
今後自分が圧倒的マイノリティの中で生活していくことがあるか?
今後、フランス語、ましてや複数の現地語を必要にかられて習熟する機会なんてあるか?
勿論、グローバル化がすすんだ時代、地元でアフリカの方たちと交流する機会が全くのゼロ、とは言い切れはしないけど。
その状況になったとき、
その方たちの状況をおもんばかれるように、外側の視点を持つ余裕が欲しいよね。
そのための手段としての海外協力隊です。
外の視点なら、別に県外でもよくね?
って思った??私もそう思う笑
休職していける制度がこれだけだったんだもの。
ふりかえってみて
さて、こんな感じで振り返ってみました。
大きな夢を語らずがっかりした?
こんな人も海外に飛び出してますよ。
きっかけにわくわくして、次の一歩を踏み出すかどうかです。
暑いやら言語が難しくてつらいやらで、泣き言ばっかり言う毎日ですが、
振り返ると、この経験も私が求めていた異文化なんですよね。
感情もしっかり受け止めて、また毎日暮らしていこうと思います。
それでは、バベネーンヨーーン!(また今度)